遺産品リスト一覧

大島 鎌吉【陸上】

ユニフォーム

石川県金沢市出身。金沢市瓢箪町小学校、金沢商業学校(現石川県立金沢商業高等学校)卒業後、関西大学に入学。

1932年ロサンゼルスオリンピック出場。
「日本跳躍界の三羽カラス」と称され、金メダル獲得が期待されていた。しかし、本番の4日前、選手村宿舎内のガス風呂が爆発し、大やけどを負うアクシデントに見舞われる。到底競技ができる状態ではなかったが、怪我を押して出場し、銅メダルを手にした。認定されたユニフォームは、この際に着用していたものである。

その後、毎日新聞社に入社し、運動部記者として活動する一方、陸上競技で後進の育成にもあたった。
東京五輪では選手強化対策本部長や日本選手団長を務め、過去最高の金メダル16個獲得に貢献した。また、日本スポーツ少年団などの創設に尽力し、晩年はスポーツを通じた平和運動への国際的なリーダーとして活躍した。

【金沢が生んだ東京オリンピック選手団長】
https://www.kanazawa-csc-kk.jp/story/oshima/

石原 亨【カヌー】

パドル


金沢市カヌー協会所属。
1997年、25歳の時カヌーロデオ全日本選手権スクォートクラスに初出場、初優勝。
同年、カヌーフリースタイル世界選手権カナダ大会の日本代表に選出されるが、出発直前に父が他界し、出場を辞退した。
以後、計8回世界選手権に出場し、5回のベスト8入り。
中でも、2009年のスイス大会では準優勝、2011年ドイツ大会では3位となり、2大会連続で表彰台に立った。

太田 信子【ボート】

ユニフォーム・ジャージ・写真

金沢市在住。
1992年、バルセロナオリンピック出場。
山下美幸と共に、舵手なしペアに出場した。
小松商業高校時代にボートを始め、卒業後は株式会社インテック(富山県)に所属した。数々の国内大会を制し、日本女子ボート界では初のオリンピック出場を果たした。
バルセロナオリンピックでは、7分26秒51 の好タイムで9位と健闘。
日本のボート界に大きな足跡を残した。

越川 優【バレーボール】

ユニフォーム・シューズ・式典用ウェア

2008年北京オリンピック出場。
中学でバレーを始めた姉を追いかけてバレーを始めた。
金沢市立野田中学校を卒業後、高校バレーの名門、長野県岡谷工業高校に入学。
2002年釜山アジア大会で、男子では高校生初の全日本代表入りを果たした。
実業団入り後は、サントリーでプレミアリーグ5連覇に貢献した。
その後「優勝請負人」としてJTに移籍し、2年目でチーム初優勝を果たし、選手としても二度目のMVPに輝いた。

小堀 勇氣【水泳】

ユニフォーム・ジャージ

中学時代から『北陸の怪童』と呼ばれ、数々の大会で優勝。
中学3年時には7つの種目で中学生記録を塗り替えた。
金沢高校に進学後も、記録を伸ばし続け、高校2年時(2010年)には、アジア大会の800mリレーで初の日本代表入りを果たす。

2011年の世界選手権を経て、2012年にはロンドンオリンピックで800m(200m×4)リレーの代表メンバーに選出された。
それから4年後のリオデジャネイロオリンピックでは、800mリレーで悲願のメダル獲得を果たす。萩野公介、江原騎士、松田丈志と共にメンバーに選ばれ、第3泳者として、1964年東京オリンピック以来52年ぶりとなる銅メダルの獲得に大きく貢献した。

坂井 寛子【ソフトボール】

グローブ・ユニフォーム・アテネオリンピック銅メダル・北京オリンピック金メダル

2004年アテネオリンピック、
2008年北京オリンピック出場。
金沢市立長田中学校時代に部活でソフトボールを始め、たちまち頭角を現す。金沢高校卒業後は、埼玉県の社会人チームに入部してエースとして活躍した。

アテネオリンピックで3位となり、一時引退するもバッテリーであった山路典子(太陽誘電ソフトボールチーム監督)の勧めで復帰。
北京オリンピックでは悲願の優勝を果たした。両オリンピックにおいて全登板無敗を記録し、チームの勝利に貢献した。
認定されたユニフォーム、グローブは北京オリンピックで実際に使用されたものである。

鈴木 大輔【サッカー】

ユニフォーム

金沢市出身。
金沢市立諸江町小学校時代は地元のクラブでエースストライカーを務めた。中学校進学後は『テイヘンズFCジュニアユース』に所属。
2005年に星稜高校へ進学し、主将としてチームを高校総体準優勝へ導いた。
2012年ロンドンオリンピックでは全試合に先発でフル出場し、44年ぶりのベスト4進出に貢献した。

豊田 陽平【サッカー】

ユニフォーム

小松市出身。
星稜高校への進学を機に、本格的にサッカー選手としての道を目指す。高校在学中のスポーツ測定記録では先輩である松井秀喜の記録を複数項目で更新した。
2008年北京オリンピックでは全試合に出場。ナイジェリア戦では大会中のチーム唯一の得点を決めた。また、国内ではモンテディオ山形、サガン鳥栖でJ1への昇格に貢献している。

本田 圭佑【サッカー】

ユニフォーム・スパイク

大阪府出身。
2008年北京オリンピック出場。
進学した星稜高校では、3年生時にキャプテンとして第83回全国高等学校サッカー選手権大会に出場し、石川県勢初のベスト4に貢献した。その後も海外クラブへ進出しながら、FIFAワールドカップ、アジアカップ等の代表を務めた。

2018年FIFAワールドカップロシア大会では、日本人選手初、世界歴代6人目となるワールドカップ3大会連続での得点とアシストを達成した。
その後はカンボジア代表監督兼GMを務める他、国内外にサッカースクールを展開するなど、幅広く活躍している。

舛田 圭太【バドミントン】

ラケット・式典用ウェア

金沢市出身。
金沢市立犀生中学校、金沢市立工業高等学校を卒業。
シドニー五輪、アテネ五輪、北京五輪の3大会に出場。
日本国内最高峰の大会である全日本総合バドミントン選手権大会で、男子シングルス優勝5回(5連覇)、男子ダブルス優勝5回(2連覇&3連覇)、混合ダブルス優勝4回(4連覇)、全種目通算14回の優勝を果たし、長きにわたり日本のバドミントン界を牽引した。
現役引退後は、バドミントン日本代表のコーチとして活躍。
認定されたラケットは、北京オリンピックで実際に使用したものである。

松本 薫【柔道】

柔道着・式典用ウェア

2012年ロンドンオリンピック、
2016年リオデジャネイロオリンピック出場。
兄弟が既に柔道をしていたこともあり、6歳で柔道を始める。
特徴的な前傾の構えは、その当時通っていた岩井柔道塾でレスリングの練習が取り入れられていた影響だという。

数多くの国際大会を制して代表となったロンドンオリンピックで優勝。これにより、オリンピック、世界選手権、ワールドマスターズ及び全てのグランドスラム大会を完全制覇した最初の選手となった。
石川県出身者では初となる個人種目での金メダル獲得であったことから、県内2人目となる県民栄誉賞を受賞した。

齋藤 里香【ウエイトリフティング】

ユニフォーム

京都府出身。
2008年北京オリンピック出場。
中学時代は陸上の選手だったが、高校でウエイトリフティングに転向。
努力の末、わずか3年で全日本選手権を制覇した。
2006年、金沢学院東高校(現金沢学院高校)教諭となり、2年後の北京オリンピック女子69kg級のクリーン&ジャークで日本新記録の122kgを挙げて6位入賞を果たした。

嶋本 麻美【ウエイトリフティング】

ユニフォーム

中学時代に兄に勧められたのがきっかけで重量挙げを始める。
金沢学院大学の職員時代に出場したロンドンオリンピックでは、女子75kg超級で8位入賞。
2019年に行われた全日本選手権女子87kg級では、通算10度目の優勝を果たした。

八木 かなえ【ウエイトリフティング】

ユニフォーム

2012年ロンドンオリンピック、
2016年リオデジャネイロオリンピック出場。
高校入学とともに、重量挙げを始めた。
競技歴わずか8ヶ月でアジアユース48kg級で優勝し、2年目には日本代表として出場した世界選手権で日本高校新記録を出すなど、瞬く間に頭角を現した。

金沢学院大学進学後は、初めての公式戦となった全日本女子学生選手権53kg級で大会新記録を樹立し優勝。
これにより、ロンドンオリンピックの代表に選ばれた。その後も数々の国内大会を制し、リオデジャネイロオリンピックでは6位入賞を果たした。

松井 秀喜【野球】

ボール

1990年、金沢市民野球場完成記念日韓親善高校野球大会で当時星稜高校1年生の松井秀喜選手が打った金沢市民野球場の第1号ホームランボール

中田 周三 独創的な飛込練習法【水泳】

1911年金沢市生まれ。
石川県立工芸高等学校(現石川県立工業高校)出身。
卒業後、日本体育専門学校(現日本体育大学)に進学した。
1947年に石川県で開催された第2回国民体育大会の飛込で優勝した。

その後、高校教諭として飛込競技の指導に携わり、7人のオリンピアンを育成した。
その中の1人である宮本(現姓 矢野)まさみ氏は、無名の地方高校生でありながらヘルシンキオリンピック代表となった。
当時女子スポーツは盛んではなく、封建的な風習が残っていた金沢から女子高校生オリンピアンを輩出したという功績は、中田氏の指導の巧みさと熱心さの賜物と言える。

陸上でベルトとロープ・滑車を利用し空中感覚を養う、独自の練習法を編み出したほか、トランポリンを用いた練習法をいち早く取り入れ、数多くの選手の育成に生涯を費やした。
晩年はジュニアの育成に目を向け、1982年には勲五等瑞宝章を受章した。
現役指導者として最高齢の93歳までプールサイドに立ち、99歳で亡くなるまで飛込へ情熱を注ぎ続けた。

総合プール【水泳】

高飛込台・スタート台・国体プレート

1959年に建てられてから、半世紀以上にわたって石川県の水泳競技を支え続けてきたが、老朽化のため、2017年4月に閉鎖に至った。
このプールから世界へ羽ばたいた選手たちへの敬意をささげると共に、石川県の水泳のメッカであった証を後世に伝えるために、「4mの高飛込台」と「4・5・6コースのスタート台」が総合プール跡地に保存されている。

【金沢市営総合プール閉館】
https://www.facebook.com/kanazawasportsnet/posts/1492697167421465

【金沢市営総合プール閉館について(いいじ金沢より)】
https://iijikanazawa.com/news/contributiondetail.php?cid=3349

ジャンボボール【ボウリング】

国体プレート

ジャンボボールは、1970年にオープンし、北陸鉄道が運営していたボウリング場である。
全国ボウリング公認競技場協議会認定のボウリング場であり、全国大会などが開催されたが、建物の老朽化のため2018年3月に閉鎖に至った。
認定された国体プレートは、1991年の石川国体でジャンボボールがボウリング競技の会場となったことを示すものである。

【ジャンボボール閉館について(いいじ金沢より)】
https://iijikanazawa.com/news/contributiondetail.php?cid=4300

@いいじ金沢

@いいじ金沢

@いいじ金沢

@いいじ金沢

星稜高校サッカー部【サッカー】

優勝トロフィー

順調に勝ち上がり、迎えた前橋育英高校との決勝戦。
90分終えた時点で2-2の同点。延長戦に突入した。
延長戦に入っても両校ともパワー・スピードが落ちず、激しくボールを奪い、攻守が目まぐるしく入れ替わる試合が展開された。
均衡を破ったのは星稜。95分、110分と森山泰希選手の豪快なシュートがゴールネットをゆらし、決勝点となった。
星稜高校が悲願の初優勝。
全国4154校の頂点に立ち、優勝トロフィーを持ち帰った。

星稜高校野球部【野球】

準優勝盾

1995年、第77回大会。石川県勢として初めて決勝の舞台に立った星稜高校は、帝京高校と戦い、1-3で惜しくも敗れた。
それから24年後の2019年、第101回大会では奥川恭伸選手を擁して勝ち進んだ。
3回戦の智辯和歌山戦では延長14回を投げ切って23三振を奪うなど、圧倒的な成績を残す。決勝で履正社に3-5で敗れて北陸勢悲願の初優勝には届かなかったが、県民に感動を届けた。

星稜対箕島 延長18回の激闘【野球】

現在も甲子園史上最高の試合として語り継がれる名試合である。
1979年8月16日、第61回全国高等学校野球選手権大会の3回戦で、
春夏連覇がかかっていた和歌山県代表箕島高校と星稜高校が対戦した。

試合は9回を終えて1対1であったため、延長戦へと突入した。
先行の星稜高校が得点を追加すると、同回裏で箕島高校が追い付くという両者一歩も譲らない展開で、試合は延長18回へと及んだ。
(※当時は現在のタイブレーク制は導入されていない)

延長18回、大会規定によりこの回同点で終了の場合は翌日再試合となる。しかし18回裏、ついに星稜はサヨナラ負けを喫し、3対4で試合は終了した。3時間50分の激闘だった。

この試合をきっかけに、星稜高校と箕島高校は交流を続けていたが、2011年にはそれぞれの高校を有する金沢市、有田市が「スポーツ交流協定」を締結し、現在もスポーツを通じて両市は交流を続けている。

東京オリンピック ポスター

ポスター

1964年の東京オリンピック公式第1号ポスター
市民より寄贈されたもの